癌と余命を生きる 肝内胆管癌ステージⅣ
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○がん研究センターで手際よく進む
6月7日(月)は、国立がん研究センターの初診日。肝胆膵外科のK医師が担当された。添付されている画像を確認して、すぐ翌日に採血とCT検査、翌週14日にMRI検査を行うことになった。
テキパキと進む。そして、診断結果の報告は、2週間後の6月21日(月)と決まった。その日は、家族の同伴が望ましいとのことで、妻が同席することになった。
○診断の結果は手術不適応
検査を進め運命の21日を迎えた。結果は、地元医師の見立て通り肝内胆管癌であった。画像を示しながら「直径10cmと大きく、肝臓に何カ所か転移しています」。さらに、「腫瘍マーカーは上がって6万に達しており、全身に微少ながん細胞が散っていると思われます。このため手術で切除することはできません」。
私は思わず「診断は複数の先生方で行ったのでしょうか」と聞いた。K医師「肝胆膵のカンファレンスがあり、そこで皆で出した結論です」。もはや疑う余地はなかった。次の言葉は、わずかな光明だ。K医師「画像をみる限り癌は肝臓にとどまっています。周辺には浸潤していません」。
隣りで聞いていた妻が遠慮がちに聞いた。「抗がん剤で癌が小さくなれば、手術はできる可能性はあるのでしょうか」。K医師「その可能性はあるかもしれません」。
これから抗がん剤による治療になるため、肝胆膵外科から内科のS医師に担当が変更になるとのこと。最後に聞いた。「癌がこんなに大きいとは、余命はわずかでしょうか」。K医師「余命は個人差があるため、なんともいえません。S先生が適切な治療を行ってくださると思います」。
K医師の診察は終わった。引き続き、内科のS医師の診察があるため待合室で待機した。S医師の診察では、抗がん剤による治療を始める前に、診断の確定と適切な抗がん剤を選択するために肝臓の生検を行うとのこと。
○妻の落胆は大きかった
診断を聞いて、私自身は不思議と穏やかであった。61歳で前立腺癌を告知されたときは、ショックと焦燥感で混乱した。しかし、今度は定年後だ。仕事は継続しているが代理は容易だ。
思い残すことはない、といえば嘘になるが心は穏やかであった。心残りは、残される妻の老後だ。経済的には大丈夫そうで、子ども夫婦も近くに住んでいる。なんとかなるだろう...それは私の思い違いであった。
妻は、6月4日の地元医院の診断で大きなショックを受けたようだが、希望を持っていた。癌でも手術ができれば完治する可能性があると。しかし、この日にその希望は打ち砕かれた。
病院からの帰り、妻の落胆は大きく、しきりに涙をぬぐっていた。自宅に帰ったときは、抑えきれず声を出して泣いた。「なんで私より早く逝ってしまうの。これから定年後の山登りを楽しもうと思っていたのに」「ひとりぼっちなったら、どうすればよいの」。
「おいおい、まだ生きているよ。殺さないでくれ」と茶化してみるが、こちらも思わずもらい泣きしてしまう。もっとも辛いのは私ではなく妻なのだ。いたわらなければ...しかし、時々心ない言葉を投げつけてしまった。その懺悔はまたの機会に。