癌と余命を生きる 肝内胆管癌ステージⅣ
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○終活を進めることにした
余命は、がんセンターの先生方は伝えないことが多いようだ。統計で平均1年強といっても、個人差が大きい。実際は何ともいえないということのようだ。そこで、同じ肝内胆管癌のブログや研究報告を読みながら、自分なりに余命を何段階か設定して終活を進めることにした。
癌の大きさと腫瘍マーカーの異常な高さから、最短は余命3ケ月と覚悟し、それまでに妻や家族が困らないように相続関係や各種手続きの整理を進めた。
○財産関係と相続の整理
まず、わずかな財産だが目録を作成することにした。銀行と証券を整理し、死亡保険を確認した。投資関係はすべて解約し、不要な銀行口座は解約することにした。
難題は、親から相続した新潟の不動産。田舎の土地は安く「負」動産になりかねない。これまで処分を進めてきたが、2件残っている。妻や家族は、それらの詳細は知らないため、私が亡くなったら困るだろう。権利証と登記簿を整理し、相続先を書き留めた。
クレジットカードは11枚。お得だと勧められて、つい多くなってしまった。反省しても後の祭りだが・・・半分以上を解約した。
思えば、癌がなくても整理が必要なものが多い。よい機会であった。
相続に関する私の希望をまとめ、家族全員が集まる機会に説明した。もともと争いになるほどの財産があるわけでない。皆快く了承してくれた。妻には、老後に必要な蓄えは残すことができそうだ。ひと安心であった。
○故郷にあるお墓を承継するために
新潟にある代々のお墓も課題だ。私としては維持して欲しいが、どうだろうか。実は、毎年お盆に帰省した時に、妻と長男を連れて住職さんに挨拶してきた。それが幸いしたのだろうか、長男はお墓を継ぐことを快く引き受けてくれた。とはいえ維持費がかかる。それに充てるために、いくばくかの財産を残して負担が軽くなるように配慮した。
もちろん、その次の孫世代は、新潟に縁もゆかりもなくなる。そのときは孫に委ねよう。
○住職さんに挨拶に伺う
この年のお盆は、依然としてコロナが流行している。そこで、混雑を避けて7月末に帰省することにした。
長男家族と一緒に7月31日(土)にお墓まいり。そのときに住職さんにご挨拶し、私が亡くなったら長男が継ぐことをお伝えした。長男も住職さんと顔なじみだ。スムーズに進むことを祈ろう。
その日は、近くの温泉に宿泊した。肩の荷を下ろしてホッとしたのだろうか、久々にくつろぐことができた。
長男家族が帰った後で新潟にもう一泊した。翌月曜日に銀行口座を解約して一つに集約する手続きをするためであった。こうして、故郷での作業はすべて終了した。
○けっこう手続きがあるなあ
思いつく限り手続きを書き出したが、けっこう多い。私が亡くなると、健康保険や年金の手続きがある。また、私が名義人になり妻が家族会員になっているものがある。それらは、すぐに交換の手続きを進めた。例えば、携帯電話の名義を妻に変更し、私が家族会員になる・・・等々。そうすれば、私か亡くなったときは家族会員を解約するだけで済む。
最後に残ったのが、パソコンの操作マニュアル。インターネット接続は、無線ルーターの不調や停電で時々止まる。その復旧方法をまとめた。さらに、ウィルスソフトの更新は、しばらく困らないように3年分を更新した。
そして、どうしてもわからなかったら、長男に助けてもらうようにと妻に伝えた。
○妻がしだいに自立していく
妻に各種手続きやパソコン操作を説明したが、それとともに、しだいに妻が自立していくのを感じた。
妻「あなたが手続きすると私がついていけない。私が作業するから、ひとつひとつ順に教えて」。
私「そうだな。これまで私が勝手にやってしまい、かあさん(妻のこと)の自立を阻んでいたんだなあ」。
妻は、メモをとりながら、ひとひとつ手続きやパソコン操作を確認していった。
ひととおり終活が終わったのは、8月も半ば過ぎ。抗がん剤の副作用を乗り越えながらの作業であった。ようやく肩の荷を下ろし、ホッとした次第だ。