HIDEKI'S COLUMN 2016 NEW

2017.01.01
AHLA10周年誌「もうひとつの住まい方のすすめ」2014.12より

集まって住む暮らしの再発見−新しい共助の時代のはじまり

(掲載にあたって)
 最近の関心は、住まい方の観点から「共助」の可能性を再発見すること。もちろん、助け合いが重荷になっては長続きしない。楽しく心豊かな共助の暮らしとは? (2016年版からスマホ対応としました)

はじめに−集まって住むこと−

 最近、「集まって住む」ことの良さを求める動きが注目されている。例えば、高齢者が集まって暮らす住まい、子育て家庭のシェアハウス、居住者参加による住まいづくり、団地での助け合い、若者のルームシェア、等々である。さらに、東日本大震災を契機に、絆やコミュニティの大切さが指摘されている。これらの動きは一過性のものではなく、共助を再評価する大きな時代変化の表れであると考えている。

時代とともに拡大してきた自助と公助

 地域における人と人のつながりは、これまで衰退の一途をたどってきた。とくに、サラリーマン世帯は仕事による地域のつながりは乏しく、また子育てを終えると地域との関係を失いやすい。もちろん、そのような人間関係の中では、「顔が分かる範囲での助け合い」つまり「共助」(互助を含む)の意義を見いだすことは難しい。

 昔の村落社会では、いうまでもなく共助が中心であった。農業生産のためには互いに助け合うことが必須であったからだ。しかし、その後、産業化が進展しサラリーマンが中心の社会になると、「自助」の領域が拡大する。自助とは、各世帯が市場の中で、お金でサービスやモノを買う領域のことである。それと並行して地縁や血縁は衰退し、それを補うように社会保障の充実が進んだ。つまり、様々な福祉サービスを受けるという「公助」の領域が拡大したわけである。こうして自助=市場と、公助=福祉が拡大する中で、共助はコインの裏表のように、次第に衰退していった(下図)。



図1 共助の衰退と再評価の経緯

今、共助が再評価されている

 しかし今日、衰退した共助をもう一度見直す動きが強まっている。その理由は、自助の不安定さと、財政難による公助縮小への不安である。

 まず、公助についてみてみよう。周知のように、人口減少により経済が縮小に向かう一方で、少子高齢化によって福祉需要が増えることは確実とされている。その結果、一人当たりの福祉予算は縮小せざるをえない。すでに多くの人々が、年金と福祉の将来に懸念をもっている。それに備えるために、私たちはどのようにすればよいのだろうか。それは、福祉の縮小があっても生き抜けるように、「安あがりで心豊かな暮らしの実現」を模索することだろう。とはいえ、そのような暮らしを自助によってのみ実現することは容易ではない。その理由は、自助の領域も不安定になっているからである。

 今日、若者も高齢者も単身世帯が多数を占めるようになった。それとともに、これまで大きな役割を果たしてきた家族の助け合いが衰退している。つまり、従来の自助とは、「世帯と市場」が向き合うことであり、そこに家族の助け合いが加わっていた。しかし今日の自助とは、「個人と市場」が向き合うことである。地縁や血縁が衰退し、個人がむき出しで市場にさらされる厳しさに、私たちは耐えられるのだろうか。

疑似家族の時代−安心と安あがりを求めて

 若者世代においては収入格差が広がり、しかも現在は安定収入があったとしても将来は不透明だ。そのような状況への自衛策の一つは、集まって住むことで、安あがりな生活費と生活の潤いを求めることだろう。それが、ルームシェアやシェアハウスの広がりとなって表れている。

 一方の高齢者はどうだろうか。現在は、相応の福祉があるとはいえ、将来不安から生活費は安く抑えたいと思うことが普通だ。しかも、老後生活に必要なことは、経済と介護だけではない。寂しくない、生き甲斐があるといった情緒面が重要になる。

 かつては、三世代同居が、経済、介護、情緒と3拍子そろった住まい方であった。それに代わる現代の住まい方は何だろうか。国勢調査では、高齢者の非親族世帯の急増がみられる(図2)。その多くは、男女の茶飲み同居とみられるが、さらに複数の高齢者によるグループリビングや若者に空き部屋を提供するホームシェアも話題となっている。

 このように、若者から高齢者まで「集まって住む」ことを模索する動きが顕在化している。これは、いわば「疑似家族」の時代の始まりを意味する。もちろん、事業者が運営する老人ホームやグループホームにおいても、家族のような居心地の良さが求められている。一方で親子世帯においても、同居ではなく隣居や近居による助け合いの形が模索されている。



図2 65歳以上の非親族世帯

重荷にならない助け合いを求めて−自助・共助・公助の組み合わせ

 今日の課題は、集まって住むことを通した「共助」の再構築である。しかし、その共助が重荷になっては長続きしない。例えば、高齢者の住まいで同居人が寝たきりになったら介護できるだろうか。恐らく無理だろう。やはり、その段階では、民間や公的な介護サービスの導入が不可欠になる。つまり、共助が担う領域は、緊急時に病院に電話するといった軽い助け合いである。しかし、そのような軽い助け合いでも老後の不安を大きく軽減する。加えて、集まって住むこと自体がメリットを生み出す。防犯上の安心感、安上がりになる住居費、住まいやサービスの共同発注、共用施設の充実、そして仲間がいることの楽しさである。

 これからの課題は、自助・共助・公助のうまい組み合わせである。それにより、共助は重荷ではなく、暮らしの豊かさに転換する。その組み合わせは、ケース・バイ・ケースであり、具体例を通して、その知恵を学んでいくことになろう。

集まって住む暮らしの再発見へ

 「もう一つの住まい方」の様々な事例は、このような時代を先取りしている。そこでは、住まい手どうしの「共同」生活の良さはもちろん、住宅を運営する側の「協同」の仕組みも重視される。例えば、働き手が運営を担うワーカーズコレクティブが注目される。さらに、異なる組織どうしの「協働」も鍵を握る。例えば、高齢者住宅を単独で建設するのではなく、福祉施設、診療所、子育て支援施設、スーパー等の事業者と協力して複合拠点をつくれば、自助・共助・公助が連携するモデルとなるだろう。加えて、そのような住まい方にふさわしい「共有」による所有形態と資金調達の仕組みも重要になる。

 このように共同・協同・協働・共有をキーワードとして、集まって住む暮らしの可能性を再発見することが、これからの時代を豊かに暮らすための鍵となるはずである。

<Columnに戻る