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連載15 つくば方式マンション・その後3-環境共生住宅が実現!

 つくば方式マンションの第1号は、つくば研究学園都市で1996年に完成した。その後、東京、横浜、大阪、神戸、京都、前橋と、実現例が増えていった。今回は特徴ある事例の秘話だ。
 この回想録には実名が登場するが、皆さん、つくば方式を応用して実践された優れた建築家、企画者の方々だ。もし、この記述内容に誤りがあったとしても、それらの方々には一切の責任はない。すべて、私の責任であることをお断りしておきたい。

優れた企画者との出会い

 東京のつくば方式マンションには、本格的な環境共生建築が2件ある。一つは、世田谷区の経堂の杜(2000年完成)、もう一つは大田区の風の杜(2006年完成)だ。いずれも、環境デザインの新境地を切り開いたチームネット代表の甲斐徹郎氏らが企画したものである。

 甲斐氏との最初の出会いはいつであったろうか、記憶は定かでは無い。つくば方式1号が1996年に研究学園都市で実現してから講演依頼が相次いだ。その中に、世田谷区都市整備公社まちづくりセンター(現在の世田谷区トラストまちづくり)が主催する講演会があった。確信はないが、そこで出会ったのが最初であったと思う。

 まちづくりセンターは、市民参画型のまちづくりファンドを全国に先駆けて手がけ、市民団体に活動助成を行っていた。その対象として、甲斐氏による「エコロジー住宅市民学校」の講座が選ばれていた(1996年秋)。そして、翌年3月に甲斐氏ら4家族が「世田谷に森をつくって住もう」という活動をスタートさせた。

 その住宅の実現方法として、つくば方式が応用できないかというのが甲斐氏のアイディアであった。その構想が、その後、経堂の杜として実現していくことになる。


 経堂の杜(2000)甲斐氏提供

地主さんの願いと共鳴する

 経堂の杜の敷地は、小田急線の経堂駅から徒歩10分ほど。敷地には、長年受け継いできたケヤキの大木が5本あった。税対策等で土地活用が求められていたが、それら巨木を残して土地を活用することは容易ではない。敷地の制約になるだけではなく、落ち葉の処理や樹木の手入れに手間がかかるからだ。経済性を優先すれば、切ってしまおうとなりがちだ。
 しかし、その一方で、生まれ育った緑豊かな環境を大切にしたいという願いも強い。土地活用と豊かな緑の維持をどう両立するか、地主さんは迷われたのではないだろうか。

 そのようなときに、地主さんと甲斐氏が出会った。地主さんの知り合いが、「世田谷に森をつくって住もう」のメンバーだったという偶然が契機だそうだ。縁とは不思議なものだ。

環境共生とつくば方式コーポラティブの相性に着目

 緑豊かな環境を実現するためには、居住者参加によるコーポラティブ方式が適している。緑を守り育てるには、それに共感する居住者が集まり、その協力関係を通して実現することが望ましいからだ。とくに、経堂の杜ではケヤキの大木が対象であり、個人の力で守っていくには限界があった。

 この当時すでに、環境共生を目指したコーポラティブ住宅の実践例があった。つまり条件さえ整えば実現可能だ。しかし、世田谷区で土地付き住宅を購入するとなると価格が高くて参加者が限られる。一方の地主からみても、土地を売るのは最後の手段だ。

 では、賃貸アパートとして環境共生を実現するのはどうだろうか。しかし、環境共生建築は費用が高くなるため、それに見あう家賃がとれるかどうか分からない。事業リスクが大きすぎる。
 そこで甲斐氏の目にとまったのが、土地を借地にしたつくば方式コーポラティブ住宅だ。この方式を用いれば、地主さんの土地活用と環境共生を両立できるかもしれない。そこに目を付けた甲斐氏の慧眼に敬服する次第だ。

地主さんとの相談が始まる-断片的な記憶

 1997年の初夏。甲斐氏とともに地主さんのお宅に伺った。緑に囲まれたお宅の光景は今でも印象深い。そこで事業の仕組みを説明した。相続人は複数のため、みなさんの了解が必要になるというお話があったと記憶している。

 次いで浮かぶ光景は、建築家が持参された建物模型を前に話をしている場面だ。その光景が最初の訪問時か、それとも2回目かは定かではないが、緑に囲まれた印象的な建物模型であった。

あきらめかけていた・・一転朗報

 その後、計画を具体化するために、事業採算の検討が進められた。つくば方式単独では諸条件に応えることは難しい。しかし、隣に賃貸住宅を併設することで、様々な条件を満たすことができそうだ。いける...事業計画ができあがった。

 次に浮かぶ光景は都内のホテル。そこで、建築家を交えて甲斐氏と私が話をしている。「小林さん、どうも難しそうだ」と元気のない様子であった。私は、「それぞれ事情があるので仕方ないよ」と慰めている。そんな場面であった。

 それから1週間ほどして甲斐氏より電話があった。はずんだ声で地主さんが事業の実施を決断して下さった..予期しない朗報であった。一時はあきらめていたから、嬉しさは倍増だ。世田谷で緑を大切にしたいという思いが、地主さんと甲斐さんの間で共鳴したのである。

3プロジェクトの合同説明会

 この時期、3つのプロジェクトの企画が進んでいた。経堂、目白、鶴見の3つだ。そこで、合同説明会を実施することとした。その前後の動きは急であった。
 1997年8月に東京1号の松原アパートメントが着工した。東京での実現はニュースの価値が大きいようだ。マスコミ報道が急増した。この機会に合同説明会を実施すれば、PR効果が大きいと思われた。

 開催は、1997年9月に決まった。とはいえ、説明会は事業の一環である。新聞掲載は広告企画になる。新聞社に相談したところ、紙上記事として5百万円の提示があった。高いなぁと思ったが、これでも特別価格とのこと。研究開発の一環として、企業とのつくば方式共同研究費の残額を使わせていただいた。

 説明会の当日。最初に、私からつくば方式の意義と仕組みを説明した。その後は、3つのブースに分かれて、各プロジェクトが詳細な説明を行った。経堂の杜は、3つの中でも人気があった。とはいえ、この時点では、借地料や購入価格等の細部は固まっていなかった。入居希望者の名簿登録だけを行うという段取りであった。

 地主さんとの合意が最終的に成立したのは、11月であった。そこから正式募集が始まり、年内には順調に参加者が決まった。いよいよ、実現に向けて動き出した。

環境共生を目指す楽しそうな様子が伝わってきた

 私の役割は、ここで一旦終了だ。後は、建物完成時の借地契約書の確認が残るだけであった。時々、甲斐氏より途中経過の報告をいただいた。見学会の実施や、塗り壁のDIYの実演など、環境共生らしい楽しい様子が伝わってきた。

 そして、近隣調整が始まったのが1998年2月頃であった。敷地が一戸建住宅地にある場合は、そこに集合住宅が建設されると影響が大きい。このため近隣調整は、コーポラティブ住宅の壁のひとつであった。ところが、経堂の杜ではスムーズに近隣調整が進んだと聞いて少々驚いた。
 10メートの高さ制限があることに加えて、緑を大切にするという目標が、近隣の方々に歓迎されたそうだ。甲斐氏と参加者の思いが、地域住民の共感につながったのである。

建築着工まで順調そうであった

 そして、7月には建築会社が決まり、並行して建築費の見積もりあわせが進められた。コーポラティブ住宅では、ここがもう一つの山だ。というのは、自由設計によって建築費が予想以上に高くなりやすく、金額調整に手間がかかるからだ。

 経堂の杜では、外断熱、屋上緑化など建築費が高くなる要素が多い。加えて、半地下に住戸を設けている。通常の集合住宅の3割増し以上が提示されたはずだ。ところが、ここでも金額調整に難航したという話を漏れ聞くことはなかった。
 恐らく、環境共生により建築費が高くなることを甲斐氏らが事前に説明し、参加された皆さんも、そのことを十分に理解されて予算に余裕をもたせていたためと想像する。

 「森をつくって住む」という明確な共通目標があることが、一般的なコーポラティブ住宅で難題とされることを円滑に乗り越える力になっている。そのことの素晴らしさを教えていただいた次第だ。

スケルトン定借普及センターの設立

 その少し前、1998年5月に東京1号の松原アパートメントが完成した。このプロジェクトからの寄付金を基金にして、つくば方式の相談に応じるために、スケルトン定借普及センターが7月に設立された。

 同時に、関西でも事業企画が進められた。その音頭をとったのは、長年の友人である竹井隆人氏であった。竹井氏は、住宅金融公庫において、つくば方式1号の融資を担当された方だ。関西支社に配属になった時に、関係者に声をかけて勉強会を開催してくださった。そこから、京都と神戸でつくば方式の事業がたちあがった。順調な発展であった。

好事魔多し

 経堂の杜も順調に進み、1998年10月に待望の地鎮祭が行われた。さぞ楽しい祭りであったろう。いよいよ建物工事の開始だ。
 このまま進めば、翌、1999年~2000年にかけて、他の2プロジェクトともに完成するはずであった。しかし、好事魔多しだ。別の東京プロジェクトにおいて建物工事が遅延して重大なトラブルが発生した。

 コーポラティブ住宅では、自由設計のスケジュール管理が不十分であると、設計図の完成が遅れたり、途中の設計変更が多くなったりする。しかし、それでは工事会社が対応できない。その結果、工期の遅れが生じやすい。このことは、参加者の夢を育むことと事業の計画通りの進行という、時には矛盾する目的の舵取りの難しさの示している。

 そして、経堂の杜でも工事が遅れはじめたという報告が工事会社よりあった。とても心配したが、入居者や関係者の皆さんの努力でなんとか解決に向った。感謝!
 こうして2000年4月に建物は完成した。本格的な環境共生住宅を居住者参加で実現するという、素晴らしい成果となったのである。

建物が完成して世田谷に森ができた

 建物完成後1年ほどして現地を訪れた。建物は緑に覆われ森のようであった(写真)。環境共生と呼ぶにふさわしい住まいと暮らしが実現していた。


 緑に覆われた建物

 甲斐氏は、大学研究室の協力をえて四季の温度測定を行った。環境共生建築の効果を確認するためだ。その報告書を頂いたが、実に興味深いものであった。夏に涼しく冬に温かい住まいとして、エアコンがなくても一定の快適さを実現していた。緑に覆われた外断熱建築の効果を実証したのである。

 屋上には空中農園が誕生して、そこで採れる果物や野菜が住民の楽しみになっているという。また、最近では、住民有志により屋上で養蜂がはじまり、ハチミツを収穫しているそうだ。さらに、居住者と地主さんが一緒に行う年末の餅つきイベントが定着して、良好なコミュニティが育まれている。これらを通して、都内とは思えない、実に豊かな暮らしが実現している。

つくば方式50年タイプへの契約変更

 建物が完成して15年ほどたった頃、管理組合からつくば方式の勉強会を開催したいとの依頼があり、現地に出かけた。そこで、借地契約の変更について質疑があった。
 つくば方式には、建物譲渡特約の行使時期の違いによって、複数の契約書がある。30年後の行使が標準だが、住宅ローンに合わせた35年タイプ、そして50年タイプがある。経堂の杜は、標準の30年タイプであった。

 勉強会の後、チームネットから相談があった。30年タイプから50年タイプへの変更の可能性についてであった。もちろん、全員が合意すれば可能だ。
 地主さんは現状に満足しており、また30年後に建物を買い取らなくても相続税対策ができることを確認されていた。それならば、居住者側の希望に応じて50年タイプに変更することに何の支障もなかった。

 とはいえ、単に譲渡特約を外すことは望ましくない。というのは、60年の一般定期借地権だけになると、借地終了が近づいたときに建物修繕がおろそかになりやすいからだ。その結果、建物劣化を放置してスラムのようになってしまう懸念がある。
 そこで、50年目に譲渡特約を残すことを推奨している。そうすれば、50年目に地主が建物を買い取って修繕を実施することもできるし、地主と借地人が残り10年の建物修繕について協議することもできる。それが50年タイプの良さである。

 そして、経堂の杜では全員が合意して、30年タイプから50年タイプへと契約書が変更された。経堂の杜は、つくば方式環境共生住宅の第1号であるだけでなく、全員の良好なコミュニティを基盤として借地契約書を変更した第1号となった。
 今日でも、つくば方式の金字塔として輝き続けている。


 緑に覆われた建物

 経堂の杜に続いて、甲斐氏は、つくば方式環境共生住宅の第2号「風の杜」を東京都大田区で実現した。2006年のことである。

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